コンプレックス ~再出発~
コンプレックス・・・・・・
【大学中退】これに尽きる!
私は何も学歴社会を賛嘆しているわけでも、中退していく人達を、駄目だと言っているわけではない。
そもそも、何となく行くなら大学はいかないほうが賢いとさえ思っている
行ってみたけど、違う道が見えたなら
さっさと辞めるべき
あくまで私自身の話!
私は幼い頃から、小学校の教員になりたかった。
だから、高校も千葉から都内の付属高校を受けた。滑り止めも受けず、少し背伸びしなきゃ届かない高校だったが、部活を引退してから、毎朝3時に起きて必死に勉強した。
親や担任が
「すべりどめを1つだけでも受けて」と、
何度いってきても全力で否定
逃げ道なんて私はいらない
「落ちたら浪人するから」と、一言
昔からこう!と決めたら一直線!
わき目もふらず真っ直ぐに向かっていた
無事合格し、付属といえど成績悪ければ、進みたい学部には進めない
部活も勉強も、全力で頑張った3年間
きちんと取り組めば、なんでも割と上位にいける自分だったが、高校時代、
「上には上がいて、越せない」(>_<)💦
私にとっては、初めて味わう「挫折感」
しかし、大学行ったら、もっと「挫折感」を味わうことに・・・
付属生は所詮「井の中の蛙」でしかなかった!持ち前のド根性と、負けず嫌いが幸いし、1年で外部受験組に追いついた
順調にみえた人生も、バブルがはじけ、
就職超氷河期時代、新卒の教員採用枠も例外ではなかった
やっぱり落ちたー(;∀; )
教育実習の2か月後に試験てヒドイっ
なんて、当時は思ったなぁ
でも、僅でも受かった人はいるわけでw
悔しい~ヽ(`Д´#)ノ
卒業して臨時採用の道か、とりあえず卒業しちゃうか、単位落として留年するか、
履修生として残るか、、、
悩んでいる間に、母病気の知らせが。
私には弟が4人いるが、間の3人はそれぞれ下宿大学生活をしていた
一番下の弟はまだ小学5年生。不登校時
父は好きな仕事しかしない人で、当時は大阪
当てになんかしてなかったけど
聞けば「癌」で手術するとの事だったので、実家へ戻る事にした。
週3回大学へ通えばいいし。。。
何とかするしかない!と思った
片道2時間半、勿体ないけど仕方ないか、みたいなね
この時は、まさかこのあと、あんな事になるなんて思いもいなかった
若かったなぁ
結局、病院の往復や、バイト、家のこと、
様々な要因が重なり、段々大学へ通うのも辛くなっていった
この頃から
「もう1年やろかな。来年になればもう少し落ち着くだろう」
という考えが頭をよぎるように
卒論もあったし、とにかく時間が欲しかった
バタバタしているうちに転機がくる
【一般美術の出席日数が足りなーい!】
完全な計算ミスだった(TДT)
悩む以前に卒業できなーい!!
ウッソー( ̄□||||!! だ。
笑うしかなかった。1日でも不足したら、テストで優でも単位をくれない教授で有名
事情を話し、掛け合うも、やはり無理w
もうこうなったら、開き直りw
卒業論文と、残りの単位は何がなんでも優とったるでー!
でも、卒業は出来ない(;∀; )
留年決定~ハハハ
そして、結局翌年、私は自主退学した。
ただ根性が無かっただけ、といえばそれまでさぁ
当時は色々必死になる事が多かった
不登校の末弟のことも、母の病気のことも、大学の学費のためのバイトも、弟達への仕送りのことも(弟達は自ら仕送りを断ってきたが、母が少しでも送ってほしい、と願った)
3度の手術の甲斐なく、私が自主退学した年に母は息を引き取った
最後まで母と共に生活出来て良かった
24時間点滴、人工肛門で口から満足に食事が出来なくなっても、「食べたい」欲求を満たしてあげられるように、勉強もし作り続けた
最後まで生きる事を諦めなかった母
それは、家族のためだった
母は私が高校卒業するとき、
「皆が社会人になって、独立したらいつ死んでもいい。普通のサラリーマンの生涯年収の2倍以上は働いて稼いできたから。思い残すことはない」と、言っていたのだ
働きづめの母だったが、私達子どもは
「手作り」の食事に「手作り」のおやつが圧倒的に多かった
家族旅行も年に3回は連れてってくれた
やりたいことは、全てやらせてくれた
尊敬しかない、私にとっては、偉大な母
実家へ戻り、母や末弟と過ごした事は全く後悔はしていない
ただ、私の夢を全力で支えてくれた母に
申し訳ない、との気持ちと、
自身の甘さが招いた中退
私にとっては、コンプレックスでしかない
そう、自身が招いた最大のコンプレックスだった
あれから、20年
この20年の間にも色々あった
改めて、大学へ通おう!と思った事も
色々考えると、もう無理だな、と諦めた事も
様々な経験を通して、「教員免許」にこだわる必要はない!と思えたのが、再婚してからのこと
バイタリティーに溢れ、ヒューマンスキルが私より圧倒的に高い主人のおかげ様で
「子どもと関わる仕事がしたい」
「関わる全ての親子が人達が笑顔で溢れますように」
夢を叶えるのに遅すぎる事はない!
いくら考えても諦めきれないから、これが本当に私のやりたいこと
今やっと、母へ恩返し出来る。
(と、勝手に思っている)
子育ても楽しみつつ、全力でやりたいことに向かっていく!!
コンプレックスが、エネルギー源になるとはこのことかもしれないな。