オキLaLa♪

42歳息子5歳、母で妻ですが、今からでも遅くない!夢を叶えます。やりたいことやろうよ!

コンプレックス ~再出発~

コンプレックス・・・・・・

【大学中退】これに尽きる!

 

私は何も学歴社会を賛嘆しているわけでも、中退していく人達を、駄目だと言っているわけではない。

そもそも、何となく行くなら大学はいかないほうが賢いとさえ思っている

行ってみたけど、違う道が見えたなら

さっさと辞めるべき

 

あくまで私自身の話!

私は幼い頃から、小学校の教員になりたかった。

だから、高校も千葉から都内の付属高校を受けた。滑り止めも受けず、少し背伸びしなきゃ届かない高校だったが、部活を引退してから、毎朝3時に起きて必死に勉強した。

 

親や担任が

「すべりどめを1つだけでも受けて」と、

何度いってきても全力で否定

逃げ道なんて私はいらない

 

「落ちたら浪人するから」と、一言

 

昔からこう!と決めたら一直線!

 

わき目もふらず真っ直ぐに向かっていた

無事合格し、付属といえど成績悪ければ、進みたい学部には進めない

部活も勉強も、全力で頑張った3年間

 

きちんと取り組めば、なんでも割と上位にいける自分だったが、高校時代、

「上には上がいて、越せない」(>_<)?

私にとっては、初めて味わう「挫折感」

 

しかし、大学行ったら、もっと「挫折感」を味わうことに・・・

 

付属生は所詮「井の中の蛙」でしかなかった!持ち前のド根性と、負けず嫌いが幸いし、1年で外部受験組に追いついた

 

順調にみえた人生も、バブルがはじけ、

就職超氷河期時代、新卒の教員採用枠も例外ではなかった

 

やっぱり落ちたー(;∀; )

教育実習の2か月後に試験てヒドイっ

 

なんて、当時は思ったなぁ

でも、僅でも受かった人はいるわけでw

悔しい~ヽ(`Д´#)ノ

 

卒業して臨時採用の道か、とりあえず卒業しちゃうか、単位落として留年するか、

履修生として残るか、、、

 

悩んでいる間に、母病気の知らせが。

私には弟が4人いるが、間の3人はそれぞれ下宿大学生活をしていた

 

一番下の弟はまだ小学5年生。不登校

父は好きな仕事しかしない人で、当時は大阪

当てになんかしてなかったけど

 

聞けば「癌」で手術するとの事だったので、実家へ戻る事にした。

週3回大学へ通えばいいし。。。

何とかするしかない!と思った

 

片道2時間半、勿体ないけど仕方ないか、みたいなね

 

この時は、まさかこのあと、あんな事になるなんて思いもいなかった

若かったなぁ

 

結局、病院の往復や、バイト、家のこと、

様々な要因が重なり、段々大学へ通うのも辛くなっていった

 

この頃から

「もう1年やろかな。来年になればもう少し落ち着くだろう」

という考えが頭をよぎるように

 

卒論もあったし、とにかく時間が欲しかった

 

バタバタしているうちに転機がくる

【一般美術の出席日数が足りなーい!】

完全な計算ミスだった(TДT)

 

悩む以前に卒業できなーい!!

 

ウッソー( ̄□||||!! だ。

 

笑うしかなかった。1日でも不足したら、テストで優でも単位をくれない教授で有名

事情を話し、掛け合うも、やはり無理w

 

もうこうなったら、開き直りw

卒業論文と、残りの単位は何がなんでも優とったるでー!

でも、卒業は出来ない(;∀; )

留年決定~ハハハ

 

そして、結局翌年、私は自主退学した。

 

ただ根性が無かっただけ、といえばそれまでさぁ

 

当時は色々必死になる事が多かった

不登校の末弟のことも、母の病気のことも、大学の学費のためのバイトも、弟達への仕送りのことも(弟達は自ら仕送りを断ってきたが、母が少しでも送ってほしい、と願った)

 

 

3度の手術の甲斐なく、私が自主退学した年に母は息を引き取った

最後まで母と共に生活出来て良かった

 

24時間点滴、人工肛門で口から満足に食事が出来なくなっても、「食べたい」欲求を満たしてあげられるように、勉強もし作り続けた

 

最後まで生きる事を諦めなかった母

それは、家族のためだった

 

母は私が高校卒業するとき、

「皆が社会人になって、独立したらいつ死んでもいい。普通のサラリーマンの生涯年収の2倍以上は働いて稼いできたから。思い残すことはない」と、言っていたのだ

 

働きづめの母だったが、私達子どもは

「手作り」の食事に「手作り」のおやつが圧倒的に多かった

家族旅行も年に3回は連れてってくれた

やりたいことは、全てやらせてくれた

尊敬しかない、私にとっては、偉大な母

 

実家へ戻り、母や末弟と過ごした事は全く後悔はしていない

 

ただ、私の夢を全力で支えてくれた母に

申し訳ない、との気持ちと、

自身の甘さが招いた中退

 

私にとっては、コンプレックスでしかない

そう、自身が招いた最大のコンプレックスだった

 

あれから、20年

この20年の間にも色々あった

改めて、大学へ通おう!と思った事も

 

色々考えると、もう無理だな、と諦めた事も

 

様々な経験を通して、「教員免許」にこだわる必要はない!と思えたのが、再婚してからのこと

 

バイタリティーに溢れ、ヒューマンスキルが私より圧倒的に高い主人のおかげ様で

 

 

「子どもと関わる仕事がしたい」

「関わる全ての親子が人達が笑顔で溢れますように」

 

夢を叶えるのに遅すぎる事はない!

いくら考えても諦めきれないから、これが本当に私のやりたいこと

 

今やっと、母へ恩返し出来る。

(と、勝手に思っている)

子育ても楽しみつつ、全力でやりたいことに向かっていく!!

 

コンプレックスが、エネルギー源になるとはこのことかもしれないな。